近代遺産探訪|大蔵橋

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2012年05月05日 17:05




≪はじめに≫

山形県の産業、交通、土木に関する近代建造物の由縁には、
「土木県令」などと称された初代県令三島通庸の存在があり、
彼の遺芳となる当時の画期的な建造物の一部は、現代もその
偉容を視認出来る特色がある。


然り乍ら文化財としての保存や活用が図られる近代建造物は
僅かであり、一方では産業の合理化、経済史の変遷、生活様式
の変革などを受け、本来の意義や技巧的で貴重な価値も一顧
されぬまま老朽化と評価され、ひっそりと消滅していく実情も
拭い切れない。


此処に於いて、本県に残る明治初期から昭和中期時代に掛けて
の“近代遺産”を個人的に探訪し、当時の情景を想見する。






大蔵橋(大蔵村清水)


本県の盆地や平野を縦断して日本海に流れ入る「母なる川」最上川は、
治水や利水によって流域に穀倉地帯を形成し、商工業の重要な水運を
担うなど、古来から地域の発展に寄与してきたが、水害の発生や陸路
の難所などの弊害を及ぼしている。




然り而して時代は昭和期を迎えると、最上川を渡河する長大な
橋梁が次々に現れ、“陸路の難所”は解消されたかに見えた。






大蔵橋(初代)
≪2006年10月31日撮影≫




言うに及ばず「母なる川」で南北に二分された大蔵村内の
国道458号に架かる大蔵橋も同然である。








大蔵橋(初代)
≪2006年10月31日撮影≫




■名称/大蔵橋
■所在地/最上郡大蔵村大字清水地内
■種別/橋梁(道路橋)
■構造・材質/下路式曲弦プラットトラス鋼桁+RCスラブT形桁橋
橋長167.5メートル
■竣工/1931年(昭和6年)5月
■設計・施工/櫻田機械製造所(現・サクラダ)、升川建設






架橋前の当地での最上川両岸の移動は渡し船の利用以外に方法が
無く、安全性や利便性などを兼ね備えた橋の要望は常不断であろう。

然れど実際は一山越す程の苦心に苦心を重ねた工事だったとか。




斯くて75年が過ぎた。

本合海バイパス道路の事業化により大蔵橋は新たに架替えられ、
供用を開始した一方で、半世紀以上の時代史を静観した地域の
ランドマーク的な存在の旧橋は、多年の役割に幕を下ろした後
に消失の一途を辿る。但し愛着や地域共有財産としての価値観
が醸成されつつあるだけに惜別の情を感じる。






大蔵橋(2代目)
≪2006年10月31日撮影≫




■名称/大蔵橋
■所在地/最上郡大蔵村大字清水地内
■種別/橋梁(道路橋)
■構造・材質/上路式連続箱形鋼桁橋、橋長229.2メートル
■竣工/2006年(平成18年)10月
■設計・施工/高田機工・駒井鉄工(現・駒井ハルテック)特定JV






『大蔵の 渡河の歩みに 玄趣あり』(在郷)




初代・大蔵橋/2007年(平成19年)解体撤去






フォトラバテーマ
※マイ.橋あります!※
やまがたレトロード
今稚句抄
トリプル参加。


御粗末様(苦笑)






▼おまけ(2012年6月14日撮影)

















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